座禅修行であらためて「感謝」「謙虚さ」の大切さを 感じた

【12/5(木)今朝の珈琲】
おはようございます。喫茶ふでまめです。
おかげさまで、11/23(土)夕方から12/4(水)早朝にかけての座禅を終えて、無事に帰ってくることができました。
不在中、色々とありがとうございました。
そんな今朝の一杯に選んだのは、哥斯達利加(コスタリカ)産の豆です。
香りと甘みが非常に強く感じられ、心の底から「うまい・・・」と思いました。
前泊・後泊を含めた12日間にわたる座禅修行からは、当初想定していたよりもはるかに多くのことを学んだように思います。
この座禅期間中、スマホを始めたとした情報通信機器類から完全に隔離されるのはもちろんのこと、人と会話することも身振り手振りで意思疎通することも文章を書くことも禁止されていました。
寝食や洗面等を除くと、やることはただ、ひたすら床に座り、自分の内面と向き合うことだけです。
1日10時間半、ひたすら座ります。
当初は「そんな非日常の中で暮らしてみたら、いったいどうなるんだろう?」という、完全なる興味本位での参加でした。
あるいは「頭がスッキリするかな?」という、リラクゼーション的な側面での効果を期待していたように思います。
結果として、まぁリフレッシュ効果も副次的にはあったものの、何よりも、自分の心と真っ正面から向き合う貴重な機会となりました。
今後の生き方そのものに、大きな影響を与えてくれそうな気がします。
詳しくはあらためて文章にまとめたいと思うのですが、私にとっての最大の恩恵は、「いかに自分が普段、感謝や謙虚さを失って生きているか」を痛烈に実感できたことです。
もちろん、「感謝や謙虚さが大切」というのは、以前から知っていました。
ただ、言葉として正しすぎるがゆえに、かえって腹落ちさせることなく、一般常識として理解できてしまっていたようにも思います。
今回、身体の痛みをはじめとする実際の身体感覚を伴ってこのことを理解できたのは、非常に大きな学びでした。
「身体の痛み」といっても、別に和尚さんにしばき倒されるわけでもなく、姿勢を変えずにただ座り続けることによる痛みです。
身体に生じる変化を通して自分の内面における様々なことに気づくというのは、これまでしたことのない不思議な体験でした。
最終日、同部屋で寝泊まりしていた参加者さんのうちの1人がボソッと、「今回の経験を”1経験”として落とし込んじゃダメな気がする」と言っていたのが、強烈に印象に残っています。
私も、単なるアクティビティとして今回の経験を消費するのではなく、今後の生き方に反映していきたいと強く思います。
こうした気持ちも、またすぐに忘れてしまうと思うのですが、その際はハリセンで思いっきり喝を入れてください。