「返報性の原理」に関する、めんどくせぇ論理

【12/26(木)今朝の珈琲】
おはようございます。喫茶ふでまめです。
今朝は、巴布亜新几内亜(パプアニューギニア)産の豆を使って珈琲を淹れました。
心理学の用語に「返報性の原理(/法則)」というものがあります。
「他者から何かしてもらったら、そのお返しをしたくなる」という人間の心理のことです。
この概念は、お商売の場でもよく使われます。
「先にgiveをしておくことで、クライアントから仕事をもらいやすくなる」のように。
ただ、はたから見ていて思うのは、「本当にうまくいっている人って、このロジックが一段階ズレているのでは?」ということです。
というのも、こうした人たちはことあるごとにgiveをしまくっており、かつ、そのことを本人自身が気づいていなかったりするからです。
真似できる気がしません。
「人から何かしてもらったら、お返ししたくなる」というのが返報性の原理だとすると、うまくいっている人たちは「人に出会ったら、何か渡したくなる」という習性があるように思います。
無理やり語呂を合わせるなら、「献上性の原理」といった感じでしょうか。
この「渡す」というのは、物理的な贈り物に限らず、ちょっとした気遣いだったり温かい目線だったりも含めて、相手を喜ばせるためのアクション全般を含みます。
「giveしている」という意識のもとでなされたであろうgiveを受け取ると、どこかヌメっとしているというか、「こんだけやってあげたんだから、お返ししてよね」的なプレッシャーを感じてしまいます。
なので結果として、双方が疲れてしまい、あまり長くお付き合いが続かなかったり。
一方、無意識のうちになされたgiveを受け取った時は、カラッとしていて爽やかな印象が残ります。
その結果、本心から「お返ししたいな」という気持ちが起こり、心地よいお返し合戦が勃発するのではないかなと。
朝からこういうごちゃごちゃしたことを考える私は、返報性でも献上性でもなく、面倒臭ぇです(デンデン🪭)。