正月準備の「松迎え」について
喫茶ふでまめ
喫茶ふでまめ(珈琲と手しごとの店)
【2/12(水)今朝の珈琲】
おはようございます。喫茶ふでまめです。
今朝は、跨的馬拉(グアテマラ)産の豆を使って珈琲を淹れました。
昨日散歩がてら、烏丸御池の大垣書店に行きました。
とくに目当ての本があったわけではなく、ふらりと立ち寄った感じです。
そこで気づいたことがあります。
それは「通りすがりの人に表紙を見てもらえる本は、全体の1割くらいしかない」ということです。
というのも、平積みされていて表紙が見えるのは、おそらく全体の1割くらいで、残り9割の本は棚に収まっているからです。
つまり、9割くらいの本たちは、背表紙だけで自分の魅力をアピールしなければなりません。
もし私が本の装丁をつくるとしたら、表紙にばかりこだわってしまいそうです。
でも、どんなにこだわっても、棚に収まっているから表紙が見られることはほとんどないという・・・。
これは本に限った話ではなくて、いろんなことにあてはまるかもしれないな~と感じました。
ついつい目立ちそうな部分にこだわりたくなるのですが、実際には「え、そこが見られてるのかよ!」という部分が見えていたり。
自分のどの面が見えているのか意識して、相手から見える部分を磨くことって、けっこう大切なのだろうなと思います。
もちろん、中身が伴っているのが大前提ですが。
「こんなに頑張って表紙も内容も作り込んでいるのに、なんで理解してもらえないんだ!」と憤りや虚しさを感じるとき、もしかしたら、相手から見えているのは背表紙なのかもしれない。
背筋の伸びる思いがします。
そんなことを感じながら、結局、平積みされている本を買いました。
目立つ部分を見てもらえるようになるための努力も、同時に必要なのだと思います。